お勉強をしましょう
Weiboに掲載された、中国語をお勉強するSnow Manが突き刺さってるアラサーです。
全然わかってなさそうな渡辺くんは今日も可愛い。写真だけでSnow Manの偏差値なんとなくわかりますよね。きっと授業についていけてるのは阿部くんとラウールぐらいだと思う。映ってないけどたぶん阿部くんは真面目にノート取ってます。佐久間くんはきっと1番わかってないけど笑顔がむしろ清々しい。
でも今日のこの写真で、ぶっちぎり優勝なのは深澤くんですよね??ハイパーリアコ枠の深澤くんの猫背具合に拗らせる休日前の夜。
という訳で私もやってみたかった「もしもSnow Manと同じクラスだったら」始めます。
設定は高校2年生くらい。
ちなみに2人出てこないけど、どうも同じクラスにしっくり来なくて省きました。たぶん2人は隣のクラスにいる…
私の席は深澤くんの後ろ。
教室のだいたい真ん中くらいから何かと顔面偏差値の高いクラスを見渡しながら楽しい高校生活を送りたかったです。私は共学育ちですがわりと進学校だったこともあり、国公立大と私立大向け、さらに理系文系でクラス分けされる2年生以降は女子の比率が圧倒的に高いクラスにいたのでそんな青春みたいなこと全然してません…。
私の中にキラキラした青春時代の思い出なんてほとんどなくて、実体験なんて欠片もないありきたりなドラマや漫画のような妄想話だけど、考えれば考えるほど胸がドキドキするような妄想だったのでブログに残すことにしました。
1.片思い中の渡辺くん
斜め後ろから黒板を見るふりをしながら合法的に渡辺くんの後頭部と横顔を見つめていたい。授業中に完全に寝てる渡辺くんの頬杖をつきながら見つめていたいし、急にガクッ!ってなって起きる渡辺くんを見て心の中でクスッと笑いたい。隣の深澤くんに顔を向けてお喋りしてるときは、目が合って好きってバレないようにこっそり見たい。
今日は寝癖すごいなぁとか思ったり、首筋のホクロにドキドキしたりしちゃう。
自分はそんなに可愛くなくてどこにでもいる女子高生で、渡辺くんの前の席にはキラキラしたギャルめの女の子がいて、いつもその子と仲良く話してる姿に悲しくなったりする。私の気持ちを知ってる深澤くんがたまに話の仲間に入れてくれるんだけど緊張して上手く話せない。変な奴って思われてるだろうなぁ…って思いながら今日も後頭部を見てる。
ずっと名字しか知られてないだろうな、って思ってたのに席替えしてから話すようになって、深澤くんが私のことを下の名前で呼ぶから、渡辺くんにはいつの間にか下の名前にちゃん付けで呼んで欲しい。
2.幼なじみの深澤くん(通称ふっか)
いつも明るくてムードメーカーで誰とでも仲良くなれる深澤くん。彼とは家も近くて親も仲良しだから幼稚園からずっと一緒の腐れ縁。人見知りの私でも何でも話せる仲。後ろの席から「頭おっきすぎて黒板見えないんですけど〜」って言いたい。「うるせぇよ(わら)」って言われたい。
渡辺くんに「ふっかと話してる時なんか違うよね」って言われて「こいつ腐れ縁だからさ〜」って。今日も渡辺くんと上手く話せなかったな…って自己嫌悪に陥る帰り道に「お前翔太の前で猫かぶりすぎ(わら)」っておちょくってくるけど、渡辺くんの情報色々教えてくれる良い奴。
いい奴なのになんで彼女いないんだろうね?って思うけど、彼女ができたら寂しいからもう少しこのままでいて欲しいなって思いながら深澤くんの猫背な後ろ姿をぼーっと眺めてる授業中(だって黒板見えないんだもん)。
3.クラス委員の阿部くん
いつも難しそうな本読んでる。天気とか天体とか。いつも背筋がピンと伸びてて(深澤くんとは大違い)、制服も綺麗に着こなしてる優等生って感じなのに、実は誰にも言えない秘密を抱えてる。世界史の綺麗な先生の授業中、誰も気付かないようなほんの一瞬……(みたいな大人の恋をしてる、たぶん。)
4.コワモテの岩本くん
部活バリバリ頑張っててスポーツマンの岩本くんとはあまり話す機会がないけど、隣のクラスにいる小さくて可愛い彼女と話してる時に目がなくなるくらい笑ってる。いつも彼女の手作りのお弁当食べてる。きっとめちゃくちゃいい人。
5.お調子者の佐久間くん
多分授業中とかもずっと前向いてない。廊下側の窓に背中向けて椅子に対して横向いて座ってる。体育祭とか文化祭とかめちゃくちゃ張り切る。
普段は公園で友達とダンスの練習してる。
6.ミステリアス宮舘くん
初めて同じクラスになって、今回の席替えで初めて隣の席になった宮舘くん。周りの人に比べて落ち着いてるし静かな雰囲気なのに、テスト返却されたときにちらっと見えた彼の答案にびっくりするくらい低い点数が書かれてて思わず「えっ?」って言っちゃう。こっちを見る宮舘くんとそこで初めて「なんか意外…!」って言う会話からだんだんおはようの挨拶とか言葉を交わすようになる。
ある日突然「〇〇(名字)さんってさ、翔太のこと好きなの?」って言われて「な、なんで!?」って動揺してたら「見てたらわかるよ」って微笑みながら言われたい。(後に幼なじみと知る)
7.クールな目黒くん
多分授業中ずっと寝てる。で2時間目と3時間目の間の休憩中にお弁当食べてる。かばんは多分お弁当しか入ってないしめちゃくちゃ頭悪いから同級生の女の子からは恋愛対象として見られてないけど、たぶん顔はいいから後輩の女の子がキャーキャー言ってる。
後に渡辺くんはギャルと付き合う(前の席の女の子とはまた別の)。HRのあと彼女と一緒に帰る渡辺くんの背中を見て、あー彼女できたんだ…って静かに失恋する。
一人でぼーっと歩きながら帰ってる途中、後ろから来た深澤くんに捕まって、そんな気分じゃないのにゲームセンターに連れて行かれて、深澤くんがクレーンゲームやるのをぼーっと見てる。1発で取れた見たことない変なキャラクターのぬいぐるみを渡されて「元気出せよ」って。
家に帰ってそのぬいぐるみを見ながら、深澤くんの不器用すぎる慰め方に少し胸が暖かくなった。深澤くんがこっそりくれた渡辺くんの体育祭の時の写真をそっと削除して、お風呂で少し泣いて全部シャワーで流してすっきりして。
次の日も深澤くんと「この教室狭くない?」「俺の顔がでかいからだよ!」って言い合いたい。
(そして多分渡辺くんと彼女はすぐ別れる)
季節外れの雪が降る日まで
2012年5月3日、Snow Man結成日。
彼らにSnow Manと名前がついて、7年が経った。
古株のオタクではないので彼らの歴史をずっと見てきたわけではないしあまり深く語れるような人間じゃないけど、ここまでSnow Manを続けて、守ってきてくれてありがとう。
きっとファンにも見えないところでたくさん悩んだり傷ついたりしただろうけど、誰一人欠けずに7年間一緒に頑張ってきてくれたことが嬉しいです。
Snow Man本人たちではお祝いしない結成日だけど、やっぱり言わせて欲しい。
結成7周年おめでとう。
Snow Man増員の発表から4ヶ月弱の時間が経った。
8人の滝沢歌舞伎ZERO南座公演、横アリでの単独コンサート、滝沢歌舞伎ZERO東京公演…Snow Manは立ち止まることなく今も走り続けている。
でも、私の時間はまだ止まったままだった。
9人体制のSnow Manをどうしてもまだ前みたいに好きになれない自分がいる。受け入れることを拒絶してしまっている。
現場には変わらず足を運んでいるので、8,9人で舞台に立つ姿もこの数ヶ月で何度も目の当たりにしたけど、そのたびに胸が苦しかった。
それでも舞台やコンサートに入ったのは、大好きな人がいるから。辛くても悲しくても、好きの気持ちにかなわなかった。好きな人に会いにいくのがこんなに辛かったことなんてなかったのに、それでもやめられなかった。見たくないものは視界に入れなければいいって、ただずっと彼の姿だけを見た。
9人体制になってからのYouTubeはあまり見なくなってしまったし、6人の頃の映像も辛くてあまり見れなくなった。それに9人で写ったグッズや写真が買えなくなった。今までは翔太くんの写ってるものは集合も混合も全部買ってたけど、今は個人のグッズしか買わなくなった。
私が渡辺翔太くんに担降りしたのは2017年11月。
降りたてのふわふわとしたテンションで2018年を私なりに彼らと一緒に駆け抜けた。とにかく現場も多いしyoutubeなどでの供給も増えて、拗らせすぎた時期もあったけど、渡辺担1年目がただただ幸せで楽しくて充実していた。
増員してからも、映画少年たちのプロモーション活動だけは以前の6人で行われていて、おそらく「最後の6人の活動」になったのが4月15日の実演付き上演だった。全国の映画館でライブビューイングも行われたので、仕事を早く切り上げてスト担の友達と見に行った。
9人体制をそろそろ受け入れないと…と思っていた矢先のイベント。少し久しぶりの、6人でのパフォーマンスを見て、私はまた気持ちが逆戻りしてしまった。
私の中で担降りのきっかけになった大切な思い出の曲が流れた瞬間、涙が溢れた。
もう戻れない。
そんなことわかってる。
それでも、もう一度見ることができた大好きだったSnow Manの6人のパフォーマンスが忘れられなくて、また前を向けなくなってしまった。そして前を向けない自分が申し訳なくてさらに悲しくなる。もう負のスパイラルから抜け出せなかった。
そんな私の心の中に少し変化が起きたのが、元号が変わった2019年5月1日。
大阪城ホールで行われたSixTONESの単独コンサートだった。
合同で立つ舞台やコンサートで何度もSixTONESは見ていたけど、初めて単独のステージを見させてもらって改めて気づいたのは、彼らの勢いは本当にすごくて。
彼らはSnow Manに人生をかけている。
彼らにとってSnow Manがどんなに大切なものなのか、私たちには計り知れないし、それを邪魔することはしたくない。なんとしてでもデビューを掴み取りたい彼らが出した結論が「増員」だったのだ。
「どうにか頭ひとつ抜けさせるにはこの方法しかない」
ふっかさんのこの言葉がフラッシュバックしてた。
その時に、Snow Manには絶対にデビューして欲しいと強く願った。
未だに増員に対する心の整理がつかない私なんてここに置いていっていいから、どうか前に進んで欲しい。
デビューの夢を叶えて欲しい。
彼等が季節外れの雪を降らす姿を見たいと思った。
受け入れられた訳ではないけど、今まで6人に固執していた気持ちが少しだけ軽くなった気がした。
私が好きなSnow Manでいてほしい、よりも、Snow ManがなりたいSnow Manになってほしい。
もし、「その時」が来たら。
遠慮なく私のことは置いていって、どんどん前に進んでね。
夢ならばどれほどよかったでしょう
こんにちは。
私はどこにでもいるアラサーのジャニヲタです。
Snow Manの渡辺翔太くんの顔に魅せられて、ずぶずぶと沼に浸かっています。
人の担降りブログとかライブレポブログを見るのが好きで、私も書いてみようかなとこのはてなブログを開設しましたが、飽き性なので一度しか更新していないこのブログ。
胸の中のもやもやと、答えのない問い。
吐き出す場所がほしくて、この投稿を書き始めることにします。
1/16の夜中、タイムラインで見たSnow Man増員の新聞記事。
ショックが大きすぎて、全然眠れなかった。
夜中ずっとツイッターを見ながら、いろんなことを考えて、泣いて、それでも受け止められなくて。
2時間も寝れないまま、朝が来て、仕事に行った。
職場に着いたらニュースで知った嵐担の上司が気遣ってくれて、社内にも関わらず朝から泣いてしまった。ダメな社会人…
仕事中も家にいてもなにをしてても、ずっとSnow Manのことを考えてた。
どうしてずっと6人じゃだめなの?
ここまで6人を育ててくれたタッキーがどうしてこんなことしたのかがわからなかった。
今もわからないし、たぶんなにを言われても理解はできないけど…
わたしが渡辺担になったのは1年ちょっと前のことだけど、Snow Manのことは5年くらい好きだった。
その頃は少クラとかもあんまり出てなかったし、ガムシャラもいわふかばっか呼ばれてて。
それでもクリエの当日券とかいろんなとこでSnow Manすごいな…!って周りを思わせるようなグループだった。
徐々にSnow Manとしても少クラ毎月出れるようになって、オリジナル曲を貰ったり、キスマイに「予約の取れない焼肉屋」って呼ばれるくらい人気者になった。
昔はちょっと違ったけど、ここ最近のSnow Manはすごく平和なグループで。
youtubeなどで垣間見える自然な雰囲気がすごい暖かかったり、コンサートのMCとかでも誰か一人のメンバーを下げて弄ったりとかしなくて、6人がずっとにこにこしてて。
そういう空気感がすごく好きで。
そんなSnow Manが好きだった。
だから応援した。
私は渡辺くんの顔が好きで、顔が見たくて現場に行ってたし、現場ではもちろん渡辺くんしか見てないし、youtubeとか少クラの画面の中ですら渡辺くん以外のものが何も見えてない。
好きすぎて胸が苦しかった。苦しくてオタクやめたいって思ったこともあった。
でも何よりも渡辺くんが生きてるだけで嬉しかったし、渡辺担になってからは毎日幸せが溢れてた。
私がすきな渡辺くんはとても人見知りだ。
でも私たちが渡辺くんの笑顔を見られるのは、5人のメンバーがいつも近くにいてくれてるからで、彼らのことを信頼してるからこそ渡辺くんが渡辺くんらしく自由に振る舞えるんだと思える。
だからこそ新しいメンバーが増えて、Snow Manの空気が変わっていくのが怖い。
6人が2学年に収まる年齢で、最年少の阿部ちゃんも「翔太」って呼べる関係性の今のSnow Manが好き。
Snow Manがあの6人だったから。
きっと私は渡辺くんのことを好きになった。
渡辺くんのファンだけど、Snow Manみんなのことも大好きで。
だから9人のSnow Manは
私の好きなSnow Manじゃないんだよ…
新しく入る3人のことが嫌いなんじゃない。
誰も入ってほしくないだけ。
だから3人のファンの方にも申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、まだどうしても受け入れられないですごめんなさい。
もちろん入ってくる側もそれなりの覚悟が必要だったはず。
彼らがどんな思いでSnow Manに入ることを承諾したのか、今はその気持ちを考えてあげられるほど心に余裕がなくてごめんなさい。
Snow Manのメンバーが今回のことをどうゆうタイミングで知って、ほんとうに納得して受け入れてるのかとか、Snow Manのファンや新しく入るメンバーのファンのことどう思ってるのかな、とか、6人のことしか心配してあげられなくてごめんなさい。
ふっかが前に6人のSnow Manじゃなきゃダメって言ったのは本心だったと思うんだ。
そう思いたい。今はあの言葉が一番の支えになってる。
横浜アリーナでの公演、初めは行きたくないって思った。
変わってしまったSnow Manを見て受け入れる自信がない。
それでも、見ないと納得できないと思った。
納得っていうのは違うかな。
でも自分の心の整理をつけるには行かなきゃいけないんだと思う。
9人のSnow Manでも渡辺くんに会えるならいいや!って思えるのかもしれないし、それともやっぱり受け入れるのは無理だ、Snow Manのファン続けられない…って思うのか、見てみないとわかんない。
実際今もやもやしながらなに考えてもなに言ってても、答えは出ないもん。
それなら見るしかないのかな、って。
心の中ずっとぐちゃぐちゃで、気が緩むとすぐに涙出てくるけど。
とりあえずホテルも抑えてチケット申し込みもして…はあ、私なにやってんだろって思ったりもしたけど。
そしたら次の日には滝沢歌舞伎ZEROの新橋演舞場公演の申し込みまで始まった。
出演者のSnow Manが9人になってた。
さっくんと向井くんの間に改行がなくて、一気に現実を突きつけられた。
私たちの気持ちも思いも戸惑いも、あっちに届くことはなくて、わたしが立ち止まっている間もどんどん彼らは前に進んでいく。
結局ファンは運営側からしたら「外野」なんだ。
着いてきたい人だけ着いてくれば?って言われた気がした。
今も心の整理がつかない。
自分にとって何が一番悲しいのか、何が一番いやなのか、Snow Manにどうなってほしいのか、私自身がどうしたいのか。
何も答えがわからないまま、ただ一日が過ぎていく。
どんなに足掻いてもメンバー増員の事実は覆らない。
それは現実として認識はしてる。
ただ、それを受け入れられるかと言われると素直に今は頷けない、ということ。
こういうことを発信することで、もし彼らの目に入れば彼らを傷つけることにもなると思う。
大好きな人が出した結論を、まだ受け入れてあげられなくてごめんなさい。
ただ一つ願うのは、どうか私の大好きな彼らがずっと笑っていられますように。
彼らが目指す場所にたどり着けますように。
渡辺翔太くんという沼に出会った話
皆さん初めまして。
私、2017年に担降りをしました。
彼の名前は渡辺翔太くん。
ジャニーズJr.のSnow Manというグループに所属しています。
彼は本当にヤバイ。(語彙力0)
顔がヤバイ。歌声がヤバイ。存在がヤバイ…
他にもヤバイ部分が沢山あるけど、それはまたの機会にお話します。(多分)
とにかく、今は渡辺くんをこの世に産んでくれた渡辺家のパパとママに感謝しかないし、そして私を同じ時代に産んでくれた自分の両親にも感謝したい。
それくらい、存在が尊い。
渡辺くんに担降りしてからは、息を吐くように「好き」が溢れ出てくる毎日です。
とはいえ、今ではこんな重いヲタクっぽいことがすらすら口から出てくるくらい好きになってますが、わたしの中で【担降り】を決断するまでにはいろいろ思い悩んだし、ほんとにこれでいいのかなんて今もよくわからないです。
悩んだ時、はてブロでたくさんの担降り記事を読みました。
そして、担降りブログってきっと皆さん心の整理をするために書いてるんじゃないかな、って思いました。
今までの事を整理したり、現在の気持ちを忘れないために。
渡辺くんを好きになって1年。
担降りをして半年。
私はまだまだド新規の渡辺担です。
*
私の元担はKis-My-Ft2の玉森裕太くん。
デビュー直後に好きになりました。
存在自体がゆるふわで、メンバーもファンも玉森くんに甘々で、そんなところが可愛くて。
でも実は芯の通った男らしい部分もしっかり持っている、すごく素敵な人。
それまでジャニーズとは縁遠い世界にハマっていた私の、初めての担当となりました。
キスマイを好きになったことにより、キスマイ以外のジャニーズやJr.に対しても興味を持つようになりました。
Snow ManにはBBJで出会いました。
中島健人くん演じる桐木司と、極楽蝶の3人。
初めは深澤くん推しでした。
と言うより、極楽蝶のエイジが好きだった。
過去の動画とか雑誌の取材記事を見て、ドラマの中のエイジ役ではないふっかの姿が、普段は明るくておちゃらけてて、仲間のことを大切に思ってるんだろうな、って、そういう部分がエイジと重なって、自然と応援するようになりました。
※わたしは後にBBJきっかけで乃木坂46にもハマることになります。沼深いドラマ…
それからはふっか目当てでSnow Manの現場に入ることもちらほら。
BBJが2013年だったから、たぶん3~4年くらいゆるくすのを応援してたのですが、まだこの時は渡辺くんにそこまで興味を抱いていなかったです。
Snow Manのメンバーで、なべしょって呼ばれてて、BBJに寿雄役でふっかと一緒に出てた人。
Kis-My-Journeyの大喜利コーナーで村長としてキレッキレのツッコミしてた影ナレ、滝沢歌舞伎2014で泣きながら手紙読んでた人、安井くんと仲がいい滑舌がthの人…正直イメージはそれくらいだった。
そんな私の転機は、2017年4月21日の少年倶楽部でSnow ManがキスマイのBrand New Worldを披露したのを見た時。
You Ready?Get set,Go Into the Brand New World
はち切れそうな不安と希望を抱いて
この一瞬にして私は渡辺くんに
恋に落ちました。
こんなかっこいい人知らない…!!
え?なべしょって歌もうまいの!?
なんで今まで気づかなかったの???って。
この恋の始まりは本当に鮮明に覚えてます。
後に彼に担降りするなんて当時は思ってもいなかったけど。
その約2週間後に入った滝沢歌舞伎2017。
深澤くんに会いたくて取ったチケットなのに、気づいたらずっと渡辺くんのこと見てる私がいた。
2幕の鼠小僧、渡辺くんの役は犬のなべ郎。
見るまで、頭の中ははてなマークでいっぱいでしたが、想像以上に犬だった。
渡辺くんはしっかりと犬のなべ郎を演じきっていたし、ちゃんと犬だった。
どんな役でも真剣にこなす姿がかっこいいって思った。
↑思わず観劇後のホテルでTwitterに呟いてた。
そこからはもう急加速して渡辺くんにハマった。
過去の少クラとか雑誌とか引っ張り出して見たり、
8月のキントレでは渡辺くんを見て初めて泣いた。
9月の少年たち日生公演も、申し込みの時は松竹あるしいいや〜って言ってたのに、会いたさに負けて気づいたら私はチケットを手にして日比谷にいた。
10月頃から私の中での「好き」という気持ちに変化が起き始めた。
少年たちLIVE、本当に楽しかった。
そして行く前のドキドキも、会ってる時の楽しさも、終わった後の幸福感も、全部今までジャニヲタになってから経験したことないくらい凄かった。
私ちょろい上に現場好きのヲタクなので、いろんなライブや舞台などのイベントに行くので、それに慣れてきてしまっていたのかいつもはあまり特別感を感じてなかったのに、この時は本当に胸が苦しいくらい。
中学生の時に初めてコンサートに行った時の感覚みたいな。
あれ、私すごい渡辺くんのこと好きになってる…?
そんな感情を抱いたまま始まった、
少年たち〜Born Tomorrow〜大阪公演。
Jrもデビュー組も、特に舞台はほとんどが東京メインなので、いつもは仕事を有給使って連休とって、時間もお金もかけて会いに行く。
もちろんそれも自分がしたくてしてることなので苦痛じゃないけど、やっぱり「好きな人がこっちに来てくれる」って本当に有難くて幸せなことだった。
お昼まで仕事してから見に行くことも出来たし(そわそわして仕事にはならないけど)、帰りの電車の時間も気にしなくていいし、何より私は学生時代をミナミで過ごしていたので、自分の馴染みのある場所で彼らが楽しそうに過ごしてくれているのが嬉しかった。
渡辺くんに対する好きという気持ちが日に日に大きくなる私に、すぐに会いに行けて、応援できて、お手紙を書いたりして、普段は行き場のないその思いがぶつけられる現場がその時に身近な大阪という地にあったこと。
きっとそれが一番の大きなきっかけで。
2017年11月1日、松竹座にて。
渡辺翔太担になることを決意しました。
担降り記念日をこの日に選んだのは後で説明しますが、まさか自分の身に「担降り」なんて起きると思ってなかった。
ふっか推したり、他Gのコンサート行ったり、結構DDなヲタクを拗らせてましたが、私なりに玉森くんのことは本当に好きで、全部好きで。
玉森くん以上に好きになれる人は絶対にいない!って思えるくらい大好きで。
でも、現れてしまったんです。
渡辺翔太という沼が。
ただ、単に渡辺くんを好きになっただけではきっと担降りはできなかった。
担降りと言うのは、きっとタイミングとかいろんな偶然が重なって起きる。
私の中で玉森くんから離れる一番の要因になったのが、毎年帝国劇場で上演されていた舞台「DREAM BOYS」だった。
私はドリボが本当に大好きだった。
そしてドリボへの思い入れが強すぎた。
6月頃だったかな?
2017年9月の帝国劇場で、ドリボではなくジャニーズアイランドが行われると発表された。
ドリボがなくなってしまったことを初めは受け止められなかった。
玉森担として1番大切な現場だったから、それを失った穴は大きすぎた。
虚無感。それだけ。
玉森くんが座長になってから4年間。
玉森くん自身も本当に成長したと思うし、DREAM BOYSという舞台もずっといいものになったと感じた。
帝国劇場の真ん中に立つ玉森くんは本当に輝いていてかっこよくて。
その姿を見られるのが一番の幸せだった。
大好きな現場だった。
9月に、2016年の舞台が映像化された。
見ながらたくさん泣いた。
いろんな思い出が蘇った。
そして、これが集大成なんだなって思えるくらい素敵な映像だった。
もうきっと、玉森くんのドリボは見れないって悟った。
ただただ、さみしかった。
そんな私の心の中の「隙間」に、渡辺くんはすっと入り込んできた。
言い方悪いかもしれないけどまさにそんな感じだった。
もちろんキスマイ担として悲しいことばかりではなかった。キスマイはいつも笑顔を与えてくれる存在だった。
アリーナツアーは距離が近くて楽しかったし、玉森くんはドラマ2本に出演してキスマイの顔として大活躍だったし、ドリボがなくなった寂しさはあるけどやっぱりDVD化は4年越しの念願だったのでフラゲ日から2連休を取った。
挙げればきりはないくらい、毎日幸せだったし、楽しい日々を与えてもらっていた。
結果として担降りしたけど、玉森くんのことを嫌いになったから離れるわけではないから、これからも玉森くんのことは応援していくと思う。
だけど「玉森担」という肩書きを下ろしたことによって、少し気持ちが軽くなった。
○○を買わなきゃいけないとか、○○に行かなきゃいけないとか、 そういった責任感のようなもの。
もちろんそれは今後渡辺くんに対して抱えることになるんだろうけど、玉森くんへ向けられていたものはいつのまにか私の中からいなくなった。
すると、今までよりも穏やかな気持ちで応援できる気がした。
2017年。
1年を通してキスマイに会えたのは夏のツアーの大阪公演だけだったけど、Snow Manにはとにかく会える機会に恵まれていた。
滝沢歌舞伎、キントレ、少年たち、地方公演。
私は入ってないけどJr祭り、クリエ、湾岸LIVEもあった。
Jrとはいえ大活躍の1年だった。
そういったタイミングと環境が、私を担降りに導いたんだと思う。
2017年11月1日が担降り記念日に制定された。
この日に決めたのは私的松竹座初日だったこともあるけど、一番大きな理由は11月5日の渡辺くんのお誕生日公演を渡辺担として迎えたかったこと。
お友達のおかげで渡辺くんのお誕生日公演に入れることになり、チケットが当たった時点で「誕生日公演とか入ったら担降りしちゃうかも〜!」と、その時は軽い気持ちで言ってたけど、まさか現実になるとは思わなかった。
10月の少年たちLIVEのあたりから、玉森くんと渡辺くんへの好きの比率が逆転した。
毎週楽しみにしていたキスブサをあまりリアルタイムで見なくなったり、スマホの待受とか職場のパソコンの隣に飾ってある写真が玉森くんから渡辺くんに変わったり。
自分も周りの人も、そういう変化に薄々は気づいてた。
でも「担降り」の一言を口に出すのが怖かった。
担降りって玉森くんに対する裏切り行為なんじゃないかな、っていう罪悪感。
私みたいなヲタクが1人減ったところで玉森くんにとってどうこうなるようなことじゃないけど、なんとなく心が重たい気持ちになる。
あと、キスマイ担として出会って仲良くなった友達と今後どうなるんだろうって考えたり。
渡辺くんへの気持ちも、すごくコンスタントに会える時だから熱量が増してるだけで、キスマイのコンサートとか行った時にまた気持ちが戻っちゃうかも?とかも思ったし、玉森くんを嫌いになった訳じゃないから今後どんなスタンスでいたらいいんだろうとか悩んだり。
でも11月1日に松竹座に入って、渡辺くんのかっこよくてかわいくて、大好きな笑顔を見たときにスッキリした。
私は渡辺くんを全力で応援したい。
いろんな感情を乗り越えて素直にそう思えた。
すごく悩んだ日々だった。
だけどいまは後悔していない。
これからどんな景色が見られるのか、今は楽しみでいっぱいです。
きっと渡辺くんを好きになったから毎日がキラキラしています。